立原道造のポエム

今日も良い天気。今日は忙しい日。朝早く病院に行き、薬を待つ間、花やさんで、おしゃべり。
お花をこよなく愛するオーナーとおしゃべりするのは、この病院に来る楽しみでもあるの。
ゆりと、サンダーソニアそれぞれ一輪ずつ買う。

薬をもらい、電気やサンにより、ついでに本屋により、急ぎ足で見る。
暮らしの手帳の表紙と、タイトル(立原道造のヒヤシンスハウス)
にひかれ、買ってしまう。帰ってから、散歩、おばあちゃんの
用事で北方面に走り、届け物をする。ああ忙しい。
帰って、急いでお昼を食べ、2時から5時まで市役所で会議。
買い物して夕食をつくる。散歩。。。。

やっと落ち着けた夜に、暮らしの手帳を読む。
立原道造は、詩人だとおもっていたら、東大の建築家の出身で、建築家
だったのですね。まったく知らなかったわ。24歳で夭折したのだけれど
たくさんの詩と、いつか住みたいヒヤシンス荘の設計図まで書いていたそうです。
そのヒヤシンス荘が2004年に寄付金で建てられ、そこを訪れた様子がなんとも優しい
文章でつつ”られています。なんて素敵な文章でしょう。なんども読み返してしまいました。
やわらかい光をすくいとった素敵な写真と文章。どうしたら、こんな素敵な文章
を書くことができるのでしょう。どうしたら、こんな素敵な写真を撮ることができるのでしょう。ため息ものです。
最後にこんな締めくくりで終わっています。
☆ 住まいについて道造はこんな言葉を残しています。
(僕は室内にいて、栗の木でつくった背凭れの高い椅子にすわって、
うつらうつらと眠っている。
夕暮れが来るまで、夜が来るまで、一日 なにもしないで、
僕は、窓が欲しい。 たったひとつ、、、
     鉛筆 ネクタイ 窓 〜1938年
 居心地の良い住まいに必要なのは、ほんのシンプルなことなんだ、
そんな道造の 小さな声が、聞こえたような気がしました。☆
ホームページには全文が載っていますが、素敵です。
今回から、表紙が変わったとおもったら、編集長がかわったのですね。
編集長はだれだとおもいますか?
松浦弥太郎さんでした。びっくりー。
高校をドロップアウトしたあと、アメリカと日本をいったりきたり。20代は自分探しの
日々だったと、エッセイも人気でしたよね。イオンのビレッジバンガードにも売っていましたよ。最高にかっこいい本を見つけることで有名だったし、アルネにも登場していましたよね。
軽トラックでの移動古本屋で、有名になった、あの弥太郎さんですよ。
これから、暮らしの手帳はたのしみだなー。
今日は、道造の詩にであって、忙しかったけど良い一日でした。