禅のはなし

今日も超暑い。。暑い。。
朝から雑用多い。
テレビのニュースで、モンスターペアレンツのことが
話題になっていた。最近理不尽なことを言ってくる親が多いそうだ。
その親をモンスターペアレンツというんだって。
先生は授業より、親 対策に時間がとられてしまうらしい。
たとえばある小学校で、(うちの子には、家でも掃除をさせてないので
学校でも掃除をさせないでください。といってくる親がいたらしい。
それを聞いて、禅の話を雑誌で読んだことを思い出した。

禅とは、どう生きるかを問う哲学。
何かにおわれ本来の姿が見えなくなったとき、
いったん立ち止まり自分自身をまっさらなゼロベースにしてしまうことが
必要。言葉をかえればこころのメタボ。
修行や訓練によってすこしずつうすくしていく。
そんな禅寺の教えの基本は一に掃除、二に読経 三に学問
と掃除がとても重要で修行の筆頭なのだそう。
修行や修行による精進を(工夫)といって、
掃除や畑仕事を動中の工夫
座禅は静中の工夫
この2つが修行の両輪としている。

 そして、臨済宗白隠和尚は動中の工夫は静中に勝ること
千億倍すとといたそうだ。
頭で考えることを止め、手足を使い、汗を流し、無心で掃除や
畑仕事にいそしむ。掃き清めそれに没頭することで、己の心に
たまった塵をはきさってしまうこと。
ただ、禅寺の掃除は、そこが汚いから行なうものでは
ないらしい。ほこりがなくとも雑巾で拭き
落ち葉がなくとも
ほうきで掃く。
また、建仁寺の宗務長さんはこういっていました。
足元にある日常の万事が修行になりえる。
こころを無塵化にする方法は禅寺に出向かなくても
私たちのあしもとにあるのですよと。。。。
☆掃除をさせないでと言ってきたモンスターペアレンツ
そんな禅の話をしたら、納得しないでしょうか。。
掃除が上手に出来るようになれば、心もしっかりするし成績ものびますよと。。
わたしは、じいさんや、ばあさんやで嫌なことが多くある。
アサッテの人とお付き合いをするのは、相当なストレスがかかります。
ボンバっていえば消えるものでもない。
そんな時
無心に、無心になって、掃除機をかけます。(笑)
それだけじゃあ、たりないや。
それでも、自分に都合よく、この禅の教えで切り抜けられそうな気がするのは、不思議。
ただ、きっとほとんどの人が農民だった時代と現代はちょっとちがうかも。
  人間の心を不自由にしているのは、
  自分自身ですよ。。。と言う住職の言葉に、そうかも
しれないなあとちょっと反省。。
☆京都に近かったら、(禅の庭)を見にいけるのに。。。
  おっと、足元にあるんだった、日常の。