セレンディピティがめざめる旅 伊勢

昨日は今年最後の満月でした。あっという間に隠れてしまいましたが、綺麗でしたね。
伊勢・京都に行ってからもう一ヶ月近くたってしまいました。。やっとフィルムは
昨日写真店にもって行きましたが、できるのは来週なので、少しばかりの
デジカメ画像と、ある雑誌に載っていた茂木健一郎さんの文章をそのままかり
しまいますぅ。。ということで以下の文章はすべて茂木さんのものです。

自分を知り幸運に出会う。茂木健一郎
伊勢神宮は私にとってかけがえのない場所で、もう10回以上かよっている。
いつ訪れても、新たな発見がある。
生命が内側から更新されていくのが、ありありと感じられる。
そこに行かなければ感じられない何者か。言葉には出来ないもの。
現代の脳科学では、(クオリア)と名付けられる質感。

 私にとって伊勢神宮、特に内宮は神社というもののひとつの絶対基準である。
すべてが最高の配慮と敬意を持って設われている空間。たゆまぬ営為で維持されている長い歴史。伊勢の神宮
とそれをめぐるさまざまな物語が続く限り、日本という国の根幹は揺るがないとさえおもう。

伊勢の内宮は正式名称は皇大神宮であり、ご祭神は天照大神である。
その内宮のご神体は神話に言う(八たの鏡)・・・漢字難しい)である。そのことは事実として知ってはいたが
あるときご神体が鏡であることの意味に思いいたり、戦慄が走った。

三種の神器のひとつである八たの鏡。天照大神が天岩戸にお隠れになったとき、困った神々は外で
歌舞音曲を奏でた。興味を持った天照大神が外をのぞいた際にこの鏡を示したところ
、そこに映る自分の姿に惹きつけられ、その際に岩戸の外に引きずり出された。世界が再び明るくなった。
日本書紀にはおおむねこのように書かれている。

自分自身を映し出す鏡。由緒ある鏡が御身体として内宮に安置されているという設い。ここに
古の人の叡智がある。
誰もたった一人で生きてはいけない。次の世代を育むためにも、自分自身の成長に必要な出会いのためにも
私たちは必ず(他人)を必要とする。
人間の脳には、(自分)と(他人)をまるで鏡に映すように照らし合わせる働きがある。
1996年に発見された(ミラーニューロン)。
大脳皮質の前頭葉にあるこの神経細胞は、他者の行為と自分の行為を鏡に映し出したように
あらわすのである。自分自身を知るためには、他人を鏡としなければならない。
天の岩戸から外を覗き込み八たの鏡に映る自分の姿を認めた天照大神。ここで語られているのは自己意識
というものの芽生えの物語であり、さまざまな不思議に満ちたこの地上への賛歌である。

人は時々無性に旅にでたくなる。自分を探すために旅にでたくなる。
確かに自分はずっとここにいる。
どこにいようとここにいる。
それでも、時には住み慣れた場所を離れて旅にでなければ、私たちは自分と出会うことが出来ない。
私たちは見知らぬ土地の笑顔の中に自分の姿を見る。

自分自身の姿を映し出す鏡を求めて、私たちは旅を続ける。
どこに行こうと、自分から逃れることはできない。
そして自分自身を引き受け受け入れたときに思わぬ幸運(セレンディピティ)との出会いはある。
何者かに出会ったときに、自分がどのように感じているか。。
そのことを正確に把握しなければ、かけがえの無いものを見逃してしまう。

偶然の幸運にであった時に、そのことにきずくことが出来るか、
鏡に映った自分を見つめる細やかなきずかいのできる人が
もっとも素晴らしいセレンデピティに会うことが出来る。
訪れるたびに、細やかに私の内面を映し出してくれる伊勢の神宮。。
これ以上素晴らしい鏡を私は知らない。
・・・・・・・・・以上・・茂木健一郎さんの文章でした。
☆ 私は茂木さんのファンですけれど、ここまで伊勢神宮のファンだったとは
知りませんでした。
私はといえば、静かに(クオリア)を感じようとしたのに、
相方(あいかた)が常に、はやくしろ!とせかすので、クオリア感じそうになっただけでした。
ですが、ビューティさんの言っていた伊勢うどん。。。を食べた時(クオリア)を感じてセレンディピティもかんじちゃった!  私ってば・・・・空気感ではなく食べ物に感じる人だと鏡に映し出された。

  マジ。。やべぇ、、うめぇ(現代語で最大の賛辞語)